2012/03/11 08:37:48
あの日、いつものように仕事に出かけました。
ちょっと湿った大粒の雪が降っていて、この時期まだ雪が降るんだ・・・なんて思って思わず写メしたあの日。
でもそれ以外特に変わったことはなく、一日を終えて帰りの会をしているとき、床に膝をついて子どもと一緒に明日の予定を見ていたら自分の体が一瞬フラッと揺れたのを感じました。
その瞬間あんなことが起こってるなんて思いもしませんでした。
その後職員室へ行きテレビを見て愕然としました。
画面に映し出されていたのは東京。
建物から火が出ています。
どこかの会館が崩れて怪我人も出ているという情報も。
その日確かムスメもどこかのホールにオペラを観に行っているはず。
でも携帯は繋がらないし家族の所にも連絡が入っていなくて不安だったのですが、ツイッターでとりあえず無事なことがわかりまた仕事に戻りました。
その後も家まで帰れなかったり必要なものが手に入らなかったろするムスメのことが心配だったのですが、「自分は大丈夫だから本当に困っている人たちのことを考えてほしい」と言われ自分にできるだけのことをし、ただ祈るだけの日々でした。
ちょうどその時期に我が家は引っ越しをしました。
引っ越し先は古い一軒家でしばらく使っていなかったので給湯器は使えない、井戸水は枯れて水が出ないという状況の中実家に水をもらいに行ったり洗濯をさせてもらったりお風呂に入らせてもらったりと被災地の方々の苦労をわずかではありますが実感する毎日。
そして私は転職をすることになっていました。
一度はお断りした仕事だったのですが、強く進められ、それまでの仕事よりも条件もよかったので決断しました。
来年度も引き続きお願いしますと依頼され、一旦はお受けした仕事を断って選んだことでした。
それがなかったことにされてしまい、車がなきゃどこへも行けない山奥で免許がない私は他に働ける場所もなく無職になってしまいました。
そして父の病気。
仕事がないから収入がない(夫の収入だけでは大学生を含む家族5人生活できない)
収入がないから必要なものが買えない
食べるものもない
水が出ないからお風呂にも入れず洗濯もできない
父の付き添いにも行かなければならない
被災された方々のご苦労に比べたらどうってことない小さな苦労。
でも結構厳しい状況だったと思うんです。
それでもなんとかやってこられたのはテレビ等で見る被災者の方々の姿に
「これくらいどうってことない」
「こんなことでなに落ち込んでるんだ」
って思わせていただいたから。
そこは慶ちゃんと同じですね。
被災地に行くと、ぼくが限界だって思ってたことなんて乗り越えられる、おれ何悩んでるんだって、逆に元気をもらいました(女性セブン)
状況はぜんぜん違うから、比べること自体間違っているのかもしれませんが、同じように「辛さ」を抱え頑張っているんだというのは励みになり大きな力になりました。
長い間何の活動もないことに多くのファンが不安や不満を感じているのはわかっていますが、もし何かあってもそのすべてを同じように楽しむことはできないから私は、かえって辛かったかもしれません。
コンサートがあれば行きたいです。
少しでも多くの会場に行きたいしCDだってどんどん出してほしい。
でもそんな余裕はありません。
それでも去年無理をして花火大会にもまほうツアーにも行きました。
生活にも困ってるのに何考えてるのって言われそうだけど理解のある家族にはほんとうに感謝しています。
だけどもしも私が被災者だったら・・・。
絶対に行けなかったと思います。
他のグループのように被災地でコンサートをしてくれたり、どこかに招待してくれたりすればいいのかもしれないけれど、それでも全てのファンの人が行けるわけではないでしょう。
どこかで悲しい思いをする人がいるのなら、みんなが同じように寂しい思いをしているという状況が正直私は心強かったです。
自分たちの力でたくさんの人を元気にすることはできなくても、一緒に辛い状況に耐えてくれてるんだと言う気がしたのも。
でも1年たちました。
いつまでも同じところにとどまっているだけでは何も変わりません。
慶ちゃんが言っているように
目標を持てることが復興の第一歩
もう新しい目標を発表してもらっても大丈夫です。
今日、東京へは行けないけど私はここで私のできることを今まで通り続けるし、目標のために新しいことも頑張ってみようと思います。
今復興に向けて頑張っていらっしゃる皆さん、今なお厳しい状況におかれ辛い思いをしている皆さんのこともいつも心の中にあります。
どうか一日も早い復興と皆さんが笑顔で過ごせることを祈りながら私も自分の幸せに感謝して毎日を過ごしたいと思います。
ちょっと湿った大粒の雪が降っていて、この時期まだ雪が降るんだ・・・なんて思って思わず写メしたあの日。
でもそれ以外特に変わったことはなく、一日を終えて帰りの会をしているとき、床に膝をついて子どもと一緒に明日の予定を見ていたら自分の体が一瞬フラッと揺れたのを感じました。
その瞬間あんなことが起こってるなんて思いもしませんでした。
その後職員室へ行きテレビを見て愕然としました。
画面に映し出されていたのは東京。
建物から火が出ています。
どこかの会館が崩れて怪我人も出ているという情報も。
その日確かムスメもどこかのホールにオペラを観に行っているはず。
でも携帯は繋がらないし家族の所にも連絡が入っていなくて不安だったのですが、ツイッターでとりあえず無事なことがわかりまた仕事に戻りました。
その後も家まで帰れなかったり必要なものが手に入らなかったろするムスメのことが心配だったのですが、「自分は大丈夫だから本当に困っている人たちのことを考えてほしい」と言われ自分にできるだけのことをし、ただ祈るだけの日々でした。
ちょうどその時期に我が家は引っ越しをしました。
引っ越し先は古い一軒家でしばらく使っていなかったので給湯器は使えない、井戸水は枯れて水が出ないという状況の中実家に水をもらいに行ったり洗濯をさせてもらったりお風呂に入らせてもらったりと被災地の方々の苦労をわずかではありますが実感する毎日。
そして私は転職をすることになっていました。
一度はお断りした仕事だったのですが、強く進められ、それまでの仕事よりも条件もよかったので決断しました。
来年度も引き続きお願いしますと依頼され、一旦はお受けした仕事を断って選んだことでした。
それがなかったことにされてしまい、車がなきゃどこへも行けない山奥で免許がない私は他に働ける場所もなく無職になってしまいました。
そして父の病気。
仕事がないから収入がない(夫の収入だけでは大学生を含む家族5人生活できない)
収入がないから必要なものが買えない
食べるものもない
水が出ないからお風呂にも入れず洗濯もできない
父の付き添いにも行かなければならない
被災された方々のご苦労に比べたらどうってことない小さな苦労。
でも結構厳しい状況だったと思うんです。
それでもなんとかやってこられたのはテレビ等で見る被災者の方々の姿に
「これくらいどうってことない」
「こんなことでなに落ち込んでるんだ」
って思わせていただいたから。
そこは慶ちゃんと同じですね。
被災地に行くと、ぼくが限界だって思ってたことなんて乗り越えられる、おれ何悩んでるんだって、逆に元気をもらいました(女性セブン)
状況はぜんぜん違うから、比べること自体間違っているのかもしれませんが、同じように「辛さ」を抱え頑張っているんだというのは励みになり大きな力になりました。
長い間何の活動もないことに多くのファンが不安や不満を感じているのはわかっていますが、もし何かあってもそのすべてを同じように楽しむことはできないから私は、かえって辛かったかもしれません。
コンサートがあれば行きたいです。
少しでも多くの会場に行きたいしCDだってどんどん出してほしい。
でもそんな余裕はありません。
それでも去年無理をして花火大会にもまほうツアーにも行きました。
生活にも困ってるのに何考えてるのって言われそうだけど理解のある家族にはほんとうに感謝しています。
だけどもしも私が被災者だったら・・・。
絶対に行けなかったと思います。
他のグループのように被災地でコンサートをしてくれたり、どこかに招待してくれたりすればいいのかもしれないけれど、それでも全てのファンの人が行けるわけではないでしょう。
どこかで悲しい思いをする人がいるのなら、みんなが同じように寂しい思いをしているという状況が正直私は心強かったです。
自分たちの力でたくさんの人を元気にすることはできなくても、一緒に辛い状況に耐えてくれてるんだと言う気がしたのも。
でも1年たちました。
いつまでも同じところにとどまっているだけでは何も変わりません。
慶ちゃんが言っているように
目標を持てることが復興の第一歩
もう新しい目標を発表してもらっても大丈夫です。
今日、東京へは行けないけど私はここで私のできることを今まで通り続けるし、目標のために新しいことも頑張ってみようと思います。
今復興に向けて頑張っていらっしゃる皆さん、今なお厳しい状況におかれ辛い思いをしている皆さんのこともいつも心の中にあります。
どうか一日も早い復興と皆さんが笑顔で過ごせることを祈りながら私も自分の幸せに感謝して毎日を過ごしたいと思います。
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