2012/03/06 13:17:43
しゃばけシリーズの『ゆんでめて』(弓手馬手)のことではありません。
聖書の言葉です。
私はクリスチャンではないのですが子どもの頃教会の日曜学校に行っていたことがあって、聖書を持っています。
私はお話を聞くのが大好きだったので、先生が話してくださる聖書の中のお話を聞くのも好きでしたし、終わった後に聖書の中の言葉が書いてあるカードをいただけるのも楽しみでした。
そんな聖書の言葉の中で私が好き・・・というか心がけていたいといつも思っている言葉があります。
私の持っている聖書から引用すると
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい」
「施しをする場合、右手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたの施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」
「祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」
よい行いをすれば人は認め褒めてくれます。
でもよいことはひとにほめられるためにするものじゃない、誰かのためにするもの。
それがその相手にさえも気づいてもらえなかったとしても、少しでも誰かの役に立てたのならそれで充分。
よい行いはこっそりとするもの。
神さまに報いを求めているわけではありませんが、自分もそうでありたいと子どものころからずっと思っています。
だけど今復興支援で誰が何をしたなんて報道を見るたびにもどかしい、ちょっとだけもやもやした気持ちが湧いてきます。
「あの子達立派だね」
「すごいね」
「私達の自慢だよね」
世間でもよく知られている俳優さん、タレントさん、ミュージシャン、アイドルなどは何かをしてそれが大きく取り上げられればそのファンの人たちも嬉しいでしょうし、自分が大好きなその人を誇りに思うでしょう。
世間からも評価されますしね。
そんな映像を見るたびに、私の好きな人たちだって頑張ったんだよって言いたくなります。
だけど本当にこっそりだったからほとんど一般の人には知られることはありませんでした。
「一緒にこんなことしてみんなが笑顔になって、元気になってくれて嬉しかった」なんていうのを見ると「いいことしたね」って思います。
でも一緒に歌うどころか後ろの方で好き勝手に走り回っていたとか。
それを「元気でよかった」って嬉しそうに見ていた・・・なんて話を聞くとなんて素敵な人達なんだろうって思います。
自分たちが何かして元気になったのが嬉しいんじゃなくて、そこに元気でいてくれたことが嬉しいと思えるなんて、本当に心から誰かの幸せを喜べる人ですよね。
何かグッズを作って販売し、その収益金で支援するのも素晴らしいことだと思います。
名前が売れている方だからこそできること。
自分という存在を活かして人のためになれるのですから。
だけど
平和な世界になりますように
皆が笑顔でいられますように
そんな祈りを込めて自分だけの物を作りそれを身につけるっていうのも悪くはないと思うのです。
そんなことに大金使うならその分募金でもしたらどうだって思う人もいるでしょう。
でも自分だけでやっているのは隠れてひとりで祈っているということじゃないかと思うのです。
アイドルならアイドルらしく歌って踊ってみんなを元気づければいい。
CD発売でもライブでもじゃんじゃんやればいい。
なのにコツコツと地道に被災地の取材を続けている人がいます。
24時間が終わっても絶えず努力を続け、つけた力を今活かしている人がいます。
「あなたのやりたいことは本当にそれですか?」
「アイドルとしてやりたいことがあるんじゃないですか?」
見ていていつもそう思います。
だってグループとして活動して何か支援をした方が絶対目立つし認めてもらえます。
なのにこの1年キャスターであり続けた彼を私は尊敬します。
もしかしたら1年が過ぎるまで彼はアイドルには戻らないのかもしれないとさえ思いました。
いちばん辛い時期に黙って小説を書き続けた彼もすごいと思います。
結局不器用な人達なのかもしれません。
もっともっと自分達の力を世の中に見せつけた方がいいのかもしれません。
でもひっそりと誰かのために自分ができることをやっている彼らが大好きです。
世間から評価されなくても自分たちの存在で笑顔になれる人がいることをただ喜ぶことができる、そんな人達のことを誇りに思います。
聖書の言葉です。
私はクリスチャンではないのですが子どもの頃教会の日曜学校に行っていたことがあって、聖書を持っています。
私はお話を聞くのが大好きだったので、先生が話してくださる聖書の中のお話を聞くのも好きでしたし、終わった後に聖書の中の言葉が書いてあるカードをいただけるのも楽しみでした。
そんな聖書の言葉の中で私が好き・・・というか心がけていたいといつも思っている言葉があります。
私の持っている聖書から引用すると
「自分の義を、見られるために人の前で行わないように、注意しなさい」
「施しをする場合、右手のしていることを左の手に知らせるな。それは、あなたの施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」
「祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい」
よい行いをすれば人は認め褒めてくれます。
でもよいことはひとにほめられるためにするものじゃない、誰かのためにするもの。
それがその相手にさえも気づいてもらえなかったとしても、少しでも誰かの役に立てたのならそれで充分。
よい行いはこっそりとするもの。
神さまに報いを求めているわけではありませんが、自分もそうでありたいと子どものころからずっと思っています。
だけど今復興支援で誰が何をしたなんて報道を見るたびにもどかしい、ちょっとだけもやもやした気持ちが湧いてきます。
「あの子達立派だね」
「すごいね」
「私達の自慢だよね」
世間でもよく知られている俳優さん、タレントさん、ミュージシャン、アイドルなどは何かをしてそれが大きく取り上げられればそのファンの人たちも嬉しいでしょうし、自分が大好きなその人を誇りに思うでしょう。
世間からも評価されますしね。
そんな映像を見るたびに、私の好きな人たちだって頑張ったんだよって言いたくなります。
だけど本当にこっそりだったからほとんど一般の人には知られることはありませんでした。
「一緒にこんなことしてみんなが笑顔になって、元気になってくれて嬉しかった」なんていうのを見ると「いいことしたね」って思います。
でも一緒に歌うどころか後ろの方で好き勝手に走り回っていたとか。
それを「元気でよかった」って嬉しそうに見ていた・・・なんて話を聞くとなんて素敵な人達なんだろうって思います。
自分たちが何かして元気になったのが嬉しいんじゃなくて、そこに元気でいてくれたことが嬉しいと思えるなんて、本当に心から誰かの幸せを喜べる人ですよね。
何かグッズを作って販売し、その収益金で支援するのも素晴らしいことだと思います。
名前が売れている方だからこそできること。
自分という存在を活かして人のためになれるのですから。
だけど
平和な世界になりますように
皆が笑顔でいられますように
そんな祈りを込めて自分だけの物を作りそれを身につけるっていうのも悪くはないと思うのです。
そんなことに大金使うならその分募金でもしたらどうだって思う人もいるでしょう。
でも自分だけでやっているのは隠れてひとりで祈っているということじゃないかと思うのです。
アイドルならアイドルらしく歌って踊ってみんなを元気づければいい。
CD発売でもライブでもじゃんじゃんやればいい。
なのにコツコツと地道に被災地の取材を続けている人がいます。
24時間が終わっても絶えず努力を続け、つけた力を今活かしている人がいます。
「あなたのやりたいことは本当にそれですか?」
「アイドルとしてやりたいことがあるんじゃないですか?」
見ていていつもそう思います。
だってグループとして活動して何か支援をした方が絶対目立つし認めてもらえます。
なのにこの1年キャスターであり続けた彼を私は尊敬します。
もしかしたら1年が過ぎるまで彼はアイドルには戻らないのかもしれないとさえ思いました。
いちばん辛い時期に黙って小説を書き続けた彼もすごいと思います。
結局不器用な人達なのかもしれません。
もっともっと自分達の力を世の中に見せつけた方がいいのかもしれません。
でもひっそりと誰かのために自分ができることをやっている彼らが大好きです。
世間から評価されなくても自分たちの存在で笑顔になれる人がいることをただ喜ぶことができる、そんな人達のことを誇りに思います。
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