2015/01/31 02:38:03
「このままGにいたらやりたいことができない」
この一言でGを抜けたいのかって言われたり
「やりたくないことはやらない」
と言ったことでわがままみたいに言われたり
人の受け取り方ってそれぞれっていうかほんといろいろあるんだなって思いました。
誰だって自担(←初めて使った)がかわいくていちばんなわけだからしかたないかなとは思いますけど・・・。
それに対して
じゃあ・・・って言いたくなることもないわけではないですけど私の知っている人はみんな心の中に止めているし、口に出したとしても一方的にただ相手を批判するようなことはしなくて、だから同じ人が好きなのかなとか同じ人が好きだからそうなるのかなとか思ったりしています。
私は彼の言うことがよくわかりました。
自分のやりたいことができない
自分のやりたい音楽ができない、歌いたい歌が歌えない、歌いたい声が出せない
それは私も経験しました。
初めはソプラノを歌っていました。
でもメンバーが減りメゾを歌う人が少なくなったのでメゾに変わりました。
すると今度はアルトが減りアルトへ移動。
その後も新しい曲を歌うたび本当はソプラノが歌いたいのに
「どこでもいいよ」
と言ってしまう私。
だって欲しいのはメゾかアルトなわけで、その声が出せない人には歌えないわけですから私でよければ歌いますって言ってしまうのです。
でも主旋律を歌えることは少ないし高い声を思いきりだすこともできないからなんとなく欲求不満になっていました。
そのうえ指導してくださる先生の選ぶ曲がぜんぜん好きな曲じゃなくて歌っていても楽しいと思えません。
そのうちなんのために歌っているのかわからなくなって一度は歌をやめようとしまいした。
そのときに出会ったのが手越くんでありテゴマス、NEWSでした。
ユニットで、グループで歌う手越くんを見て歌うことの楽しさを思い出しました。
メインで歌うのではなくハモリでその曲をより良いものにすることにも気がつきました。
結局私は自分が目立ちたいだけだったんだんです。
しばらくお休みした後復帰してからは言われるままに今回はメゾ、次はアルトとそのたびに変わり、曲によって変わったり時には1曲の中であっちを歌ったりこっちを歌ったりなんてこともしていました。
自分が歌いたい歌を歌うよりも団としての歌をよくすることのほうが大切だと素直に思えるようになりました。
そして歌い続けているうちに今度は自分の歌に不満を持つようになりました。
このままじゃだめだ、もっと上手くならなきゃ
それには今の練習量じゃ少なすぎる
もっともっと時間をかけてもっともっと上を目指さなきゃ
だけどその頃の私にはもうそれだけの時間をかける余裕はありませんでした。
仕事もあるし年齢的にもいろいろきつくなっていました。
それでも歌う意味はあるのか。
メンバーは私よりずっと若くまだまだ歌えます。
その中で一緒に歌うには私はその若い子たち以上の努力をしなければなりません。
そのまま歌い続けていてもそこそこ歌えるでしょうけど目指すものには届きません。
もう無理だと思いました。
今度は未練も迷いもなくスパッとやめちゃいました。
そこそこなら今も歌えます。
たまになら練習にも参加できます。
でもそんな中途半端な歌はメンバーにも聞いてくださる方にもその歌にも失礼だと思います。
中途半端はいらない。
0か100。
だから彼がやりたいロックはアルバムやツアーの中でソロ曲としてロックを歌うということでも、映画の中でロックをやるということでもないのだろうなと思います。
歌いたい歌が歌えないもどかしさも中途半端では満足できない気持ちもよくわかるなんておこがましいかもしれないけど、少しは私もわかる気がします。
なんて言ってるけど実は自分の歌の本番とツアーの中で私が行ける日が重なるのが一番怖いんですよね。
本番じゃなくても練習日は絶対重なるので。
そうやって秤にかけていつあるかわからないツアーにかけるってことは私の中で歌はそれくらいの存在になったってことなんだなと思います。
だって今は自分が歌うよりも聴きたい歌があるから。
世界で一番の何よりも大好きな音楽があるからです。
この一言でGを抜けたいのかって言われたり
「やりたくないことはやらない」
と言ったことでわがままみたいに言われたり
人の受け取り方ってそれぞれっていうかほんといろいろあるんだなって思いました。
誰だって自担(←初めて使った)がかわいくていちばんなわけだからしかたないかなとは思いますけど・・・。
それに対して
じゃあ・・・って言いたくなることもないわけではないですけど私の知っている人はみんな心の中に止めているし、口に出したとしても一方的にただ相手を批判するようなことはしなくて、だから同じ人が好きなのかなとか同じ人が好きだからそうなるのかなとか思ったりしています。
私は彼の言うことがよくわかりました。
自分のやりたいことができない
自分のやりたい音楽ができない、歌いたい歌が歌えない、歌いたい声が出せない
それは私も経験しました。
初めはソプラノを歌っていました。
でもメンバーが減りメゾを歌う人が少なくなったのでメゾに変わりました。
すると今度はアルトが減りアルトへ移動。
その後も新しい曲を歌うたび本当はソプラノが歌いたいのに
「どこでもいいよ」
と言ってしまう私。
だって欲しいのはメゾかアルトなわけで、その声が出せない人には歌えないわけですから私でよければ歌いますって言ってしまうのです。
でも主旋律を歌えることは少ないし高い声を思いきりだすこともできないからなんとなく欲求不満になっていました。
そのうえ指導してくださる先生の選ぶ曲がぜんぜん好きな曲じゃなくて歌っていても楽しいと思えません。
そのうちなんのために歌っているのかわからなくなって一度は歌をやめようとしまいした。
そのときに出会ったのが手越くんでありテゴマス、NEWSでした。
ユニットで、グループで歌う手越くんを見て歌うことの楽しさを思い出しました。
メインで歌うのではなくハモリでその曲をより良いものにすることにも気がつきました。
結局私は自分が目立ちたいだけだったんだんです。
しばらくお休みした後復帰してからは言われるままに今回はメゾ、次はアルトとそのたびに変わり、曲によって変わったり時には1曲の中であっちを歌ったりこっちを歌ったりなんてこともしていました。
自分が歌いたい歌を歌うよりも団としての歌をよくすることのほうが大切だと素直に思えるようになりました。
そして歌い続けているうちに今度は自分の歌に不満を持つようになりました。
このままじゃだめだ、もっと上手くならなきゃ
それには今の練習量じゃ少なすぎる
もっともっと時間をかけてもっともっと上を目指さなきゃ
だけどその頃の私にはもうそれだけの時間をかける余裕はありませんでした。
仕事もあるし年齢的にもいろいろきつくなっていました。
それでも歌う意味はあるのか。
メンバーは私よりずっと若くまだまだ歌えます。
その中で一緒に歌うには私はその若い子たち以上の努力をしなければなりません。
そのまま歌い続けていてもそこそこ歌えるでしょうけど目指すものには届きません。
もう無理だと思いました。
今度は未練も迷いもなくスパッとやめちゃいました。
そこそこなら今も歌えます。
たまになら練習にも参加できます。
でもそんな中途半端な歌はメンバーにも聞いてくださる方にもその歌にも失礼だと思います。
中途半端はいらない。
0か100。
だから彼がやりたいロックはアルバムやツアーの中でソロ曲としてロックを歌うということでも、映画の中でロックをやるということでもないのだろうなと思います。
歌いたい歌が歌えないもどかしさも中途半端では満足できない気持ちもよくわかるなんておこがましいかもしれないけど、少しは私もわかる気がします。
なんて言ってるけど実は自分の歌の本番とツアーの中で私が行ける日が重なるのが一番怖いんですよね。
本番じゃなくても練習日は絶対重なるので。
そうやって秤にかけていつあるかわからないツアーにかけるってことは私の中で歌はそれくらいの存在になったってことなんだなと思います。
だって今は自分が歌うよりも聴きたい歌があるから。
世界で一番の何よりも大好きな音楽があるからです。
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