「自分は誰からも必要とされない、いらない者。生きていても役立たず」
そう思っているお比女ちゃんと
「桜が散ればまた咲いている桜を見ることができるのかなと思う」
と言う一太郎。
どちらの気持ちも私にはわかります。
どこかが悪いとか、大きな病気をしたとか言うわけではないのですが、丈夫ではなかった私は具合が悪くなるたびに
「またなの!?」
という目で私を見る母が怖くてしかたありませんでした。
心配されていると感じたことなどなかったのです。
小さくて痩せていてひ弱な私を見て親はちゃんとランドセルを背負って学校へ行くことができるだろうかと話していました。
具合が悪くても絶対に自分の口からは言えないのは一太郎のように心配をかけたくないからなんかじゃなくて「またか」と言われるのが怖いから。
そんな私は大人になることができるのかな?
結婚して子供を産むことができるのかな?
なんて思っていました。
今はうそのように元気で健康ですが、それでも歳のせいかもしれませんがいつも思うんですよね。
来年も同じことができるのかなって。
たとえば衣替えをしながら「来年またこれをきることができるのかな」なんて思ったりするのです。
だから一太郎の言葉に自分も同じ気持ちになって悲しくなってしまいました。
そして、体も弱くて不器用な私は何の約にも立たないから親にも疎まれているし、誰からも必要とされていないいし、そんな私に対して怒っているに違いない親が怖いと思っていた私は、お比女ちゃんの気持ちも痛いほどわかりました。
「みんな親がいたから生まれてくることができたんだよ」
「その親をうらんで生きることはとても悲しいことじゃないのかい。苦しくはないかい。」
「何の役にも立てない。誰からも生きていることを望まれないのは苦しいよ」
「だから少しでも何かの役に立てるようにがんばろうとする、それが生きるってことじゃないのかな」
「幸せになるためには努力も必要なんだよ」
その言葉はお比女ちゃんだけではなく、同じような悩みを抱えている人たちの心も動かしたんじゃないでしょうか。
私もそんな一人です。