そこで感想を読むのが楽しみです。
TV局のサイトにわざわざ書き込むような方たちは皆さんもともと出演者のファンだったとか、たまたま見て感激したとかで好意的な方が多いので感想もよいことばかりです。
(好意的でないことはアップされないかもしれませんしね)
私は一太郎の身内でも関係者でもなんでもないのですが、一太郎の演技がほめられていると嬉しくなります。
TGくんの演技は若だんなの
・純粋さ
・まっすぐさ
・健気さ
・無償のやさしさ
・品のよさ
などがよく出てたそうで、この作品を通して
・命
・誰かのことを思う気持ち
・一生懸命生きること
などの大切さを知ることができたという感想がたくさんありました。
それって原作を読んだときに私が感じたことと同じなので、TGくんは本当に原作通りの一太郎をよく演じていたんじゃないかと思います。
っていうよりなりきってると思います。
きっとTGくんも一太郎が大好きで、共感できる部分がたくさんあって、一太郎と同じように大切に思っていることを一太郎を通して伝えたかったんじゃないかな。
彼は役者としてはそんなに上手じゃないのかもしれません。
でも彼にしかできないというか、彼だからできることもあると思うのです。
たとえば「品」ということ。
某掲示板でよく目にしたのですが、品は品でも一太郎の品は決して位が高い人、雲の上の存在、高貴な人・・・といったものではなく、もっと庶民的というか一般人に近いところにある品のよさなんだということ。
確かにそうかもしれないと思いました。
一太郎って高貴って感じではないですもんね。
TGくんという人は不思議な人だと思います。
今どきの男の子らしからぬ品のよさは家族に愛され大切にされたうえで決して甘やかされることなくきちんと育てられたからだろうと思います。
(家庭環境については謎の部分もありますけど)
そんな彼がメンバーやTV番組などの共演者の年上の人たちといるとき、みんな彼を見る目があたたかい気がします。
かわいくてしかたないみたいな。
この誰からもかわいがられるかわいらしさは持って生まれたもの、神様から授かったものですね。
でも、ときどき感じる「何かを負っている哀しさ」
それは歌声からだったり笑顔からだったり。
聴いていて、見ていてなぜか切なくなるのです。
それでも一生懸命生きようとする強さも彼からは感じます。
どんなことでも精一杯、まっすぐに立ち向かっていく強さ。
決して誰かのせいにしたりしない潔さ。
常に自分を高める努力を惜しまないけれど、人に対するやさしさも決して忘れない。
それらのすべてが一太郎に通じるような気が私にはします。
だからあんなにもはまり役なのかなって。
他の役についても私は好きです。
初めの頃は台詞が聞き取りにくいっていうこともありましたが、役柄がそんな感じなのでしかたなかったかなって思います。
こうなると出演が決まった映画も楽しみです。
原作を読んだ感じではぜんぜんイメージが違う気がしますが、私はそのキャラが好きなのでTGくんが演じてくれて嬉しいです。
ウィル(ミライ)、できるだけ原作どおりだといいな。
「自分は誰からも必要とされない、いらない者。生きていても役立たず」
そう思っているお比女ちゃんと
「桜が散ればまた咲いている桜を見ることができるのかなと思う」
と言う一太郎。
どちらの気持ちも私にはわかります。
どこかが悪いとか、大きな病気をしたとか言うわけではないのですが、丈夫ではなかった私は具合が悪くなるたびに
「またなの!?」
という目で私を見る母が怖くてしかたありませんでした。
心配されていると感じたことなどなかったのです。
小さくて痩せていてひ弱な私を見て親はちゃんとランドセルを背負って学校へ行くことができるだろうかと話していました。
具合が悪くても絶対に自分の口からは言えないのは一太郎のように心配をかけたくないからなんかじゃなくて「またか」と言われるのが怖いから。
そんな私は大人になることができるのかな?
結婚して子供を産むことができるのかな?
なんて思っていました。
今はうそのように元気で健康ですが、それでも歳のせいかもしれませんがいつも思うんですよね。
来年も同じことができるのかなって。
たとえば衣替えをしながら「来年またこれをきることができるのかな」なんて思ったりするのです。
だから一太郎の言葉に自分も同じ気持ちになって悲しくなってしまいました。
そして、体も弱くて不器用な私は何の約にも立たないから親にも疎まれているし、誰からも必要とされていないいし、そんな私に対して怒っているに違いない親が怖いと思っていた私は、お比女ちゃんの気持ちも痛いほどわかりました。
「みんな親がいたから生まれてくることができたんだよ」
「その親をうらんで生きることはとても悲しいことじゃないのかい。苦しくはないかい。」
「何の役にも立てない。誰からも生きていることを望まれないのは苦しいよ」
「だから少しでも何かの役に立てるようにがんばろうとする、それが生きるってことじゃないのかな」
「幸せになるためには努力も必要なんだよ」
その言葉はお比女ちゃんだけではなく、同じような悩みを抱えている人たちの心も動かしたんじゃないでしょうか。
私もそんな一人です。
主に好きなシーンについて。
まず湯治にいけるとわかったシーン。
あんなに嬉しそうに喜びを素直に表す17歳(今で言うと15歳)はいませんよね。
うちにもひとり15歳がいますが、あんなにかわいらしい姿はもう見られません。
一太郎役の彼の実際の年齢に近い大学生もいますが、想像できません。
原作でも「笑いが顔に張り付いたみたい」と表現されていますが、嬉しくてたまらない感じがよく出ていたと思いました。
あの喜び方が一太郎らしいと思うのですが、その姿をあんなに違和感なく演じられる人はそういないんじゃないかと思います。
次は船の上のシーン。
船頭さんか水主さんかわかりませんが、船乗りさんにたいして
「いつもは寄らない港なんだろうに手間をかけさせてしまって・・・」
と頭を下げているシーン。
ここも原作通りでした。
一太郎は雇い主の息子なわけですから威張ってたっておかしくないのに絶対にそういうところがないんですよね。
どれに対しても気遣いのできる一太郎が好きです。
あとはお比女ちゃんにいろいろ話をするシーン。
「自分は誰からも必要とされない、いらない者」
そう思って心を閉ざしてしまったお比女ちゃんに対して、
「そうだよね」
「辛かったよね」
ってまず気持ちをわかってくれるのが嬉しいですよね。
でもお比女ちゃんは
「役に立たないとかいらないなんて言われたことないだろう」
って一太郎に言うのですが、そこで初めて一太郎は
「私にだってあるさ」
と自分のことを話します。
でもまず自分は幸せだと言います。
お比女ちゃんの言うことを否定したりはしないんです。
自分はお比女ちゃんの言う通り幸せで、だからこそ毎日が怖いのだと一太郎は言います。
「桜が散ればまた咲いている桜を見ることができるのかな」
「夏祭りが終われば今年の初雪を見ることができるのかな」
「こうやって目を閉じて眠る時に二度と目が覚めなかったらどうしよう」
一太郎はそんなこと思ってたんですね。
「情けないけど体が弱くて誰かそばにいてもらわないと生きてはいられないんだよ」
だけど
「毎年朝顔の花が咲くのを見たい」
と願って生きている一太郎。
自分は役に立たない、生きていてはいけないんではないか・・・そういう気持ちを誰よりも一太郎は知っているのです。
そんな一太郎の言葉がお比女ちゃんの心を融かしていきます。
ここからのシーンが本当に大好きです。
原作にはないシーン、台詞ですが、とてもよかったです。
同じような悩みを抱えている人、特に子どもや若い人って結構いるんじゃないでしょうか。
そんな人の心にもきっと響いたはずだと思います。
私は子どもでも若い人でもないけれど、何度見ても一太郎の言葉に泣きそうになります。
なんだか長くなっちゃったので分けます。