今まで映画館で映画を見たのは本当に数えるほどで、そのほとんどが原作が好きで映画化されたなら観てみたいと思って観にいったものです。
大好きなお話だからワクワクして行くのですが、期待はずれででガッカリした経験もあるので最近はあまり期待しないことにしています。
原作と映画は別もの。
原作で大好きな人が映画で残念なことになっていても別の人だと思うことにしようというのが今までの教訓です。
期待はしないと思いながら実はかなり期待していました。
原作者と脚本家が同じだから自分の作品を大きく変えてくることはないかなって。
まして原作の中で重要なキャラでキーパーソンだったりキーワードにつながる人物だったらなおさら。
そんな期待を胸にドキドキしながら鑑賞開始。
最初はやっぱり乗れませんでした。
うーん、おばちゃんの感性では無理があるかな?
どきどきするとか感動するとかいうこともなさそうで、このまま終わっちゃうのかなとイマイチ盛り上がらないまま観ていたのですが、音楽はよかったです。
なんだか懐かしいっていうか。
ちょっと胸キュン。
原作そのものがウィルという男の子が大好きなだけでお話の内容に感動するというものではなかったのでこんなもんかなと思って観ました。
ミライはウィルそのものでよかったです。
台詞も原作に忠実で好きなシーンもちゃんと入っていて。
でもミライ役のファンにとってはいいけど、ユウジ役のファンの人にはどうだろうって観る前から思っていました。
ミライがおいしい役どころなわけですからおもしろくないんじゃないかなとか、余計な心配もしていました。
そんな心配いりませんでしたけど。
やっぱり主役はナオミとユウジだなと途中で思いました。
二人のシーンはとってもきれいでした。
特に外を歩くシーンとか、雪のシーンとか。
「冷たい手」って何度も言うのも。
私は原作を読んでいるのでこれはあのシーンだって想像できたし、実際には話していないことでも前後の会話が頭に入っているので違和感がなかったのですが、読んでいない人にはわからないこと多いみたいで
「ようわからん」
というのが一緒に観たダーリンの正直な感想。
ひとつだけ私もこのシーンというかエピソードを入れてほしかったなって思うのがミライのお父さんのこと。
ユウジはお兄さんを亡くしたことがきっかけでいろいろ心に問題を抱えることになってしまったわけですが、そのユウジのことをミライがこんなふうに言うシーンがありました。
映画のセリフを覚えていないので原作(「誰かが・・」ではなくて「失くした記憶・・・」の方)のままですが
「・・・・じゃあジェームズ(ユウジ)のためにパレードでもしてやろうか。家族を亡くした人はおおぜいいるんだ。賭けたっていい、世界中のだれもが家族の一員を亡くしているはずだ。だからって、みんながみんな、いつまでも落ちこんでばかりはいられない。みんながみんな、優雅に思い悩んでいるヒマはないんだよ」
映画でも似たようなことを言っていたと思います。
実はここが好きなシーンのひとつなんです。
私もウィルみたいに強くなりたかったから。
思いだしては泣きそうになる自分にいつまでも泣いていはだめだと、自分にはやらなければならないことがあるんだと言い聞かせるときにこのウィルの言葉を思い出すんです。
でも見方によってはミライって冷たいヤツに思えますよね。
ナオミのことが心配なあまりユウジの心の傷を思いやってやれない自己中なヤツ。
ほんとはウィルもお父さんを亡くしています。
「彼はいい子。お父さんを亡くしてから母親のことをよく気づかっていてがんばり屋。いつもナオミのいい友人でいてくれた。」
っていうナオミのお父さんの台詞が原作通りあればよかったなと思いました。
ウィルにとってイヤーブックが特別なものであったのはそのことも関係しています。
ナオミとミライがイヤーブックの編集スタッフになったのはその前の年に二人にとって辛いことがあったそんな時期だったのです。
ウィルは記憶を失くしているナオミに対して「家庭の事情」としか言っていませんがお父さんを亡くしたことだと思います。
ナオミにとっての辛いこととは、原作ではお母さんが昔の彼氏に出会ってしまい離婚して家を出て行ってしまったことです。
「イヤーブックに救われたような気がするんだ」
そう話したときのウィルの声にはやさしさ、心配、愛情・・・あらゆる感情がつまっていたとナオミは感じています。
これ、入れてほしかったな・・・。
ミライはいい人ってちゃんと観る人にちゃんとわかったかな?
やさしくて誠実で自分の信念を持っていて知的でユーモアもあって、そして強い人。
そんな原作のウィルそのもののミライだったと思います。
彼がこだわったっていう眼鏡を外して拭くシーンもよかったですし。
特にいちばん長い時間外して拭いていたシーン、よかったです。
気まずい思いをしたときに眼鏡を外すのが癖
視界がぼやけることで気まずい状況を遠ざけることができるとでも言うように
ってナオミは後で気づくんですけど。
長い間眼鏡を外したままレンズを拭き続けるミライの目が印象的でした。
やっぱり目がいいな。
ただ最後に二人で腕を組んで階段を下りるシーンでは二人がかわいくてちょっとイメージが違いましたけど。
どこかで見た感想の中で二人が中学生にしか見えなかったっていうのがありましたが、そんな感じ。
ウィルは小柄ということだからそれでいいんだけれど初めのころと表情が違うからかな・・・。
いつもナオミのことを心配そうに見つめていたときと違って、お互いに心から笑いあうことができるようになったからか彼本来の明るい笑顔になっていたのかな。
それが自然にそうなったのか、そうなるように演じたのかはわかりませんが。
彼の演技に対して大根だとか棒読みだとかいうのをよく目にします。
私も台詞回しが気になることがないと言えばうそになりますが、でも原作があるものに関してはまったく違和感がないと私は思います。
原作を読んで私が感じたそのままの人物がそこにいて動いて話して、大好きな人が実体としてそこにいる幸せをいつも感じさせてもらっています。
なので原作のウィルが好きな私としては、こんなにも素敵に演じてくれてありがとうと言いたいですし、手越くんが好きな私としてはこんなにも素敵な役を演じさせてくれてありがとうと言いたいです。
家に帰ってから作ってみたCD「Mirai's collection」
聴いているとなんか思っていた以上にいい映画だった気がしてきます。
あとになってじんわり染みてくる感じ。
なんの曲かわからないまま鼻歌に交えたり、なぜかわからないけどつい口ずさんだりする歌。
心に沁みこんでいる歌。
お話の最後はは口をつぐんだまま腕を組んで歩くふたりの沈黙をそんなふうに歌声のようだと言って終わっていますが、本当にどこかなつかし歌たちとともにいつの間にか心に沁み込んでいるそんな映画だったのかもと今は思っています。