2016/08/29 14:43:17
ずっと昔高校生の頃歌を歌っていました。
合唱と言えるほどのものではなかったのでコンクールには出たことはありませんでしたが年に2回県と地区の合唱祭に出ていました。
そのときのことで強烈に覚えていることが2つあります。
カントリーロードを歌った時のことですが会場からなぜか手拍子が起こり、私たちの歌に合わせて客席の皆さんも楽しそうに体を動かしながら聞いてくださったのです。
合唱祭には何度か出ましたがそんなことは初めてで他の団体が歌っているときにも経験したことはありませんでした。
私たちの歌の何に対してだったのかわかりませんでしたが何か伝わるものがあったのかな、だったら嬉しいなと思いました。
もうひとつは私が障がいを持つ方のことを考えるとき思い出す、忘れられない同級生の言葉です。
そのときの合唱祭の参加団体の中に盲学校だったかどうかは忘れましたが目が見えない方たちのグループがありました。
その方たちの発表が終わり休憩に入ると会場からたくさんの人が出てきたのですがそのとき口々に
「今の歌よかったね」
「感動したね」
というようなことを言っていたのだと思います。(よく覚えていませんが)
そのとき同級生の男子が言った言葉はずっと忘れられないものになりました。
「あの人たちが目が見える人たちでも同じこと言うんかな」
「目が見えない人たちだからっていうだけですごいとか感動するとか言ってるんやないかな」
歌そのものがよかったとかいうことは関係なく、「目が見えない人たちが歌っている」からというだけで感動するというのは違うんんじゃないか
あの時からいつもその疑問が頭のすみにありました。
卒業後は短大に進み幼児教育、保育を学ぶ中で福祉についても勉強しました。
その中で知った「ノーマライゼーション」という言葉。
説明として先生が教えてくれたのは
男の人、女の人、大人、子ども、障がいがある人、ない人、いろんな人がいて共に生きていくのが当たり前の社会である
ということでした。
それはとてもわかりやすい言葉で、ストンと心に落ちました。
だから私は
障がいがある人は特別
障がいがあるからかわいそう
障がいがあるのにがんばってて偉い
そんなふうには絶対に考えないとずっと思っています。
24時間テレビのことをよく言わない人もいます。
はっきり批判する人もいます。
「いろんなことを言う人がいるけれど素敵な番組だと思うし頑張っている人は応援したい」
私の好きな人は以前24時間テレビのことをそう言いました。
その言葉にとても共感しています。
24時間テレビは「障がいがある人」が頑張っている姿を見て感動する番組ではないと思っています。
障がいのあるなしは関係なくて、頑張っている人の中に障害がある人もいるということなんだと思います。
そして「障害があるからかわいそう」でも「障がいがあるのに頑張ってて偉い」でもないと思います。
24時間テレビのよさこいはとても感動しました。
でもそれは目が見えない子どもと耳が聞こえない子どもがやったからではないと思っています。
大変だったのは子どもたちだけではなくて、サポートしていた大学生もNEWSの4人も、誰にとってもとても難しい挑戦だったはず。
それをみんなで頑張って1つのものを完成させたことに感動したんです。
踊りの完成度がすばらしかったことと、支え合う姿に感動したんです。
踊り終わった時の大学生の笑顔が素敵でした。
移動の時に肩に手を添えサポートしているのがとても自然な動きでした。
何度見てもグッとくるのがろう学校の子が盲学校の子の肩をトントンしてから肩をつかんでそっと体の向きを変えてあげたところ。
子どもたち、学生さんたちも今回の企画で一緒に一つのことに取り組んだことでいろいろ学んだこともあったと思います。
一方的に何かやってあげたりやってもらったりするだけでなく、学ぶこともあったでしょうし自分が誰かの支えになれると気づくこともあったんじゃないかな。
最後のあいさつでてごちゃんも言ってました。
「障がいなんて関係ない。前を向いてポジティブにやっていけば壁は越えられる。」って。
(ちょっとちがうかも・・・)
そう、障がいがあってもなくても困難に事に立ち向かったり、もっと上を目指して頑張る姿に感動するんです。
てごちゃんからその言葉が聞けて嬉しかったです。
最後に一つだけ、他局の番組について
合唱と言えるほどのものではなかったのでコンクールには出たことはありませんでしたが年に2回県と地区の合唱祭に出ていました。
そのときのことで強烈に覚えていることが2つあります。
カントリーロードを歌った時のことですが会場からなぜか手拍子が起こり、私たちの歌に合わせて客席の皆さんも楽しそうに体を動かしながら聞いてくださったのです。
合唱祭には何度か出ましたがそんなことは初めてで他の団体が歌っているときにも経験したことはありませんでした。
私たちの歌の何に対してだったのかわかりませんでしたが何か伝わるものがあったのかな、だったら嬉しいなと思いました。
もうひとつは私が障がいを持つ方のことを考えるとき思い出す、忘れられない同級生の言葉です。
そのときの合唱祭の参加団体の中に盲学校だったかどうかは忘れましたが目が見えない方たちのグループがありました。
その方たちの発表が終わり休憩に入ると会場からたくさんの人が出てきたのですがそのとき口々に
「今の歌よかったね」
「感動したね」
というようなことを言っていたのだと思います。(よく覚えていませんが)
そのとき同級生の男子が言った言葉はずっと忘れられないものになりました。
「あの人たちが目が見える人たちでも同じこと言うんかな」
「目が見えない人たちだからっていうだけですごいとか感動するとか言ってるんやないかな」
歌そのものがよかったとかいうことは関係なく、「目が見えない人たちが歌っている」からというだけで感動するというのは違うんんじゃないか
あの時からいつもその疑問が頭のすみにありました。
卒業後は短大に進み幼児教育、保育を学ぶ中で福祉についても勉強しました。
その中で知った「ノーマライゼーション」という言葉。
説明として先生が教えてくれたのは
男の人、女の人、大人、子ども、障がいがある人、ない人、いろんな人がいて共に生きていくのが当たり前の社会である
ということでした。
それはとてもわかりやすい言葉で、ストンと心に落ちました。
だから私は
障がいがある人は特別
障がいがあるからかわいそう
障がいがあるのにがんばってて偉い
そんなふうには絶対に考えないとずっと思っています。
24時間テレビのことをよく言わない人もいます。
はっきり批判する人もいます。
「いろんなことを言う人がいるけれど素敵な番組だと思うし頑張っている人は応援したい」
私の好きな人は以前24時間テレビのことをそう言いました。
その言葉にとても共感しています。
24時間テレビは「障がいがある人」が頑張っている姿を見て感動する番組ではないと思っています。
障がいのあるなしは関係なくて、頑張っている人の中に障害がある人もいるということなんだと思います。
そして「障害があるからかわいそう」でも「障がいがあるのに頑張ってて偉い」でもないと思います。
24時間テレビのよさこいはとても感動しました。
でもそれは目が見えない子どもと耳が聞こえない子どもがやったからではないと思っています。
大変だったのは子どもたちだけではなくて、サポートしていた大学生もNEWSの4人も、誰にとってもとても難しい挑戦だったはず。
それをみんなで頑張って1つのものを完成させたことに感動したんです。
踊りの完成度がすばらしかったことと、支え合う姿に感動したんです。
踊り終わった時の大学生の笑顔が素敵でした。
移動の時に肩に手を添えサポートしているのがとても自然な動きでした。
何度見てもグッとくるのがろう学校の子が盲学校の子の肩をトントンしてから肩をつかんでそっと体の向きを変えてあげたところ。
子どもたち、学生さんたちも今回の企画で一緒に一つのことに取り組んだことでいろいろ学んだこともあったと思います。
一方的に何かやってあげたりやってもらったりするだけでなく、学ぶこともあったでしょうし自分が誰かの支えになれると気づくこともあったんじゃないかな。
最後のあいさつでてごちゃんも言ってました。
「障がいなんて関係ない。前を向いてポジティブにやっていけば壁は越えられる。」って。
(ちょっとちがうかも・・・)
そう、障がいがあってもなくても困難に事に立ち向かったり、もっと上を目指して頑張る姿に感動するんです。
てごちゃんからその言葉が聞けて嬉しかったです。
最後に一つだけ、他局の番組について