働く主婦にとって土・日って大切なんですよね。
普段できない家事もやりたいですし、好きなこともしたいです。
町へ買出しにだって行かなければなりません。
それらを要領よくこなして気持ちよく練習にいけたらいいのだけれどいつも中途半端で忙しい思いをするだけでなにも片付きません。
それでも練習に行くとなると家族にも迷惑をかけます。
そのため練習にいけないこともたびたびありました。
そうなると今度は合唱団のメンバーに迷惑をかけます。
家族に迷惑をかけてまで歌を続ける理由があるんだろうか
中途半端に練習に参加してメンバーに迷惑をかけるくらいなら最初から歌いに行かないほうがいいんじゃないか
ずっとずっとそんなもやもやした気持ちを抱えながら歌を続けていました。
それでも歌うことは楽しかったのにその楽しみさえ心から感じることができなくなったのはあることがきっかけでした。
私は最初はソプラノでした。
でもやめていくメンバーがいたりして数が合わなくなったのでまずメゾに移動。
その後アルトに変わりました。
2年前、コンクールを前にしてアルトのメンバーが1人も本番に出ることができないとわかったからです。
このアルトを歌うというのがかなりのプレッシャーでした。
低い声がきれいに出なくて苦しかったですけど、必死に覚えて先生の言われるとおりに歌おうとがんばりました。
抜けたメンバーの分をほとんど1人でカバーしなければならないところもあって、私ががんばらなきゃって必死でした。
出したい声が出せないストレスと、それでも私が何とかしなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうになりながらがんばったのに、当日は大失敗。
のどの調子が悪くて声が出なかったのです。
結果も散々でした。
その頃は先生の指導の仕方にも疑問を抱くようになっていて、完全に歌う気力をなくしていました。
そんなわけでコンクール後は練習に行けなくなってしまいました。
2ヶ月ほど考えて出した結論は
私はやっぱり歌が好きでずっと歌っていたいけれど、今の合唱団は私には合わない
私は私に合う場所で歌えばいい
今はなくてもいつか見つかるかもしれないし
見つからなかったら自分で作っちゃったっていい
そうブログ(こことは違うブログ)に書いた次の日また気持ちが揺らぐ出来事が起こってしまいました。
病気療養中だったメンバーのYちゃんが亡くなったのです。
治療のために髪が抜けてしまったことさえネタにしてみんなを笑わせてくれたYちゃん
最後までまたみんなと歌えることを願っていたYちゃん
「合唱っていいもんだね」って言っていたYちゃん
Yちゃんはもう二度と歌えないのに。
こうして生きていて歌うことができる私が、自分に合わないからなんて理由でやめてしまうなんてYちゃんに申し訳ないよ・・・。
次の演奏会は廃校が決まっている母校の最後の演奏会でもあったのですが、Yちゃんのために歌う演奏会にもなるらしいと聞き、演奏会だけでも歌わせてほしいと伝えました。
だけどあまりいい反応ではありませんでした。
今までの演奏会では遠くに住んでいたりして普段の練習には参加できないけれど演奏会にだけ参加っていう人もいたから、大丈夫だろうと思っていたのですが、今回は先生がちゃんと練習に参加できないのなら演奏会にも出なくていいと言われたとか・・。
Yちゃんのためには歌いたいけど、まだあの合唱団には戻りたくない
そう思ってまたグルグルと悩みはじめたとき、その声を聴きました。
彼らの存在も奇跡じゃないかと思うことがあるのですが、私が彼らを知ることができたのも奇跡だったかもしれないと今は思います。
その奇跡の始まりとなったのがTGくん初主演のドラマでした。