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「まっ、いいか」が口ぐせで
元気のもとは本と音楽。
歌が大好き。
クラシック大好きだった私が探し求めてやっと見つけた世界でいちばん好きな声の持ち主はオペラ歌手ではなくてアイドル!?
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そこで初めて・・・お恥ずかしいのですが今まであまり見た記憶のない言葉に出会いました。
流麗
詩や文章や音楽がなめらかで美しい様子を表す言葉だそうです。
「流麗なハーモニーの中にも一筋ホロリと涙がこぼれそうな切なさ」
彼らにしか表現できない独特の味わいを持った楽曲と紹介されている“桜ソング”の、そのサビの部分はそんな言葉で表現されています。
そしてアップテンポなメロディーはスタイリッシュで失恋が描かれた歌詞とのギャップが面白く、「舞って 舞って」のファルセットは高音キーの儚さが楽曲の世界観を盛り上げるそうです。
さらにソロパートにも触れてあって、
手越くん・・・1番サビ前の歌声が必聴。無力感を認めながらの苦悩が、ズバ抜けた表現力で聴く者の琴線に触れる。歌詞に込められた想いが痛いほど伝わる。
増田くん・・・ほぼアカペラで歌うソロが秀逸。優しく丁寧に、包み込む歌声がラストに心地良い余韻を残してくれる。
山下くん・・・しなやかで甘い歌声
錦戸くん・・・苦しい思いに耐えるような声
小山くん&加藤くん・・・しっとり歌い上げる
とテゴマスの二人以外にもそれぞれ何かいいところを見つけてくれてます。
この曲で前面に押し出されているのが“切なさサイド”
シングルではアッパーなナンバーが多いけれど、実は彼らの歌声には今回のような楽曲が好相性。
骨太というより上品で繊細な歌声の6人だから、切ない歌詞の世界がしっくりハマるんだそうです。
切なさと儚さ、そしてスマートな美しさは彼らならではのもの
なんて、嬉しいです。
流麗なんて言葉で評価されるアイドルグループ、ジャニーズなんてそんなにないですから。
「歌で選ばれたメンバー」という話もありますが、全員がそうではなかったと思います。
それでも私にとってはNEWS=歌です。
もちろんそれには歌が上手いメンバーがいるおかげでグループとしての歌のレベルもアップされているということもあるのでしょうが、私はこのグループは6人それぞれの声が合わさってこその歌だと思うのです。
私より音楽や歌というものに詳しいムスメもこのグループは6人で歌っていることがちゃんとわかると言います。
私が彼らの歌をよく聴くようになったのは、私がグループで歌うことに悩んでいた時期でした。
自分のパートのことや自分自身の歌声のことでモヤモヤしていました。
でも彼らの歌を何曲も聴くうちに
いろんな声があるからいいんだ
1番目立つパートを歌うことがすごいことではないんだ
と思うようになったんです。
だからNEWSはみんなで歌うことの楽しさ、素晴らしさを教えてくたグループです。
いくつものメロディーと歌声が合わせって生み出されるハーモニーを感じる気持ちよさや、自分がハモリを加えることの快感や達成感なんかも、ずっと歌っていたのに気づいていませんでした。
テゴマスの二人、とくに手越くんはただ純粋に歌が好きという気持ちや歌えることが幸せという気持ちを思い出させてくれた人。
私にとっては歌って踊るアイドルグループであるだけでなくコーラスグループみたいな存在なのに、そのう歌を聴く機会がこんなにも少ないのが残念です。
アカペラなんてもっと多くの一般の人にも聴いてほしいのに。
流麗なハーモニーを聴かせてくれるグループ
そんなふうに多くの人から認められる日がいつかくればいいなあと思います。
私はなんでも人に譲るほうです。
数が足りなければ自分は遠慮し、順番は「お先にどうぞ」と先に行ってもらいます。
道路を渡るときもそうです。
自分が歩行者で優先だったとしても車に先に行ってもらいます。
それでも一度だけ譲らなかったことがあります。
信号が青になり横断歩道を渡ろうとした時、反対側から右折しようとしている車が来ました。
かなり高齢のおじいちゃんが運転されていました。
交差点に入りスピードを落とされたので止まってくれるんだと思い横断歩道を渡り始めました。
ところがその車は止まらずそのまま交差点を右折し私の自転車と衝突。
私は子どもを1人おんぶし、1人を自転車の後ろに乗せて押しながら渡っていたのですが、自転車と一緒に3人とも道路に倒れました。
幸い私たちに怪我はなく、運転していたおじいちゃんは一旦とまりかけたもののそのまま行ってしまいました。
私は譲る必要はなかったのかもしれません。
でも相手がご高齢なことを考えるとやっぱり譲るべきだったかなと思いました。
私は車の運転ができないのですが、もし運転していたとしたら永久に右折ができないかも・・・と思います。
でも、どんなときでもまず譲ることを考えたら私はあの時みたいに事故にあうことはないだろうと思うのです。
自分は譲ってもらえるなんて思わない
まず自分が譲る
私はそう思うようにしています。
一番大事なのは事故に遭わないこと、事故を起こさないこと。
そういうのって自分が経験するとよくわかるんですよね。
追突事故のニュースを聞いてそのことを思い出しました。
そして昨日のイベントの内容を知り、あらためてそのことを強く思いました。
ではそのイベントの感想。
今日でお休みが終わりなので、気合を入れてがんばって書いてた記事が消えちゃってショック。
まさに「失くしたもの」です。
でも落ちこんでいてもしょうがないのでもう一回。
ここからは映画ではなく映画には描かれていなかった原作(「失くした記憶の物語」)のお話。
このお話のキーワードのひとつが「失くす」ということではないかと思います。
ナオミが失くしたのは記憶。
ジェームズ(ユウジ)が亡くしたのはお兄さん。
映画ではお母さんも亡くしているナオミですが、原作では別の理由で失くしています。
もともとナオミは養女で実の両親はわかりません。
育ててくれた母親は偶然元彼と出会ってしまい、ナオミの父親と離婚して元彼と再婚、、子ども(ナオミにとっては妹)もいます。
だからもうちょっと複雑なんですよね。
もう一大切な人を亡くしている人がいます。
ウィルも父親を亡くしているのです。
そのことをウィルは「家庭の事情」と言い、「つらい時期だった」と記憶を失くしているナオミに話します。
「家族を亡くした人はおおぜいいる」「世界中のだれもが家族の一員を亡くしているはずだ」とも言っていますが、自分が父親を失くしていることは言いません。
ナオミはそのことを自分の父親から聞きます。
「父親を亡くしてから、母親のことをよく気づかってる。がんばり屋だよ。」
と。
ナオミたちが通う学校(日本のアメリカンスクールではありません)の先生でもあるウィルの母親は自分が教師として勤めることでウィルの学費を免除してもらえる学校を探して今住んでいるところへ移ってきました。
(ジェームズやエースは裕福な家庭の子って感じがしますが、ウィルは違います。)
小柄で人形のような繊細な顔をしていて、この人感情を傷つけるのはいともカンタンなことだろうとナオミに思わせる人でした。
復帰した初日で迷子になりやっとのことで教室にたどり着いたナオミを自分の娘のように強く抱きしめてくれるのですが、その日ナオミを家まで送ってくれたウィルも同じように別れ際にびっくりするほど強くナオミを抱きしめます。
小柄というところも含めてウィルは母親似なのかもしれません。
大切な人を亡くした2人の男の子。
お兄さんを亡くしたジェームズ。
お父さんを亡くしたウィル。
お兄さんの指輪を紐に通し首にかけているジェームズ。
お父さんんのレコードを部屋に飾り、ナオミに贈るCDの曲をその中から選ぶウィル。
(でもレコードはプレーヤーがなくて聴くことができません)
お兄さんを亡くしたことで心が不安定になってしまったジェームズ。
お母さん曰く「がんばりすぎ」でときどき体調を崩しているらしいウィル。
(でも学校を休んでもイヤーブックの編集は休みません。ナオミが復帰した日も休んでいたのですがそのことを知っていたら休まなかったと言っています)
2人が対照的だなと思います。
(元)女の子としてはどっちも気になるし、ときとして守ってあげたい気持ちにもなります。
私は絶対ウィル派。
もともとおたくっぽい人が好きです。
何かにこだわりを持っていて熱く語ることができる人。
知的でユーモアもあって会話が楽しくできる人。
何か抱えているものがあってもそれを表に出さない強い人。
そして限りなくやさしい人。
そんな人が好きなのですが、ウィルそのものって感じです。
それに少し似たところがあるんですよね、私も。
音楽が好きで、自分でCDを作るのが好きで、こだわりを持っているところとか「わかる、わかる」って感じ。
それと私も高校生活の最後に同じ病気をしたことがあるんです。
同じように「風邪かな」と思って気にしていなかったのがある朝突然息をすることもできなくなって病院へ担ぎ込まれたたという経験がありまして・・・。
あのときは自分で死んじゃうんじゃないかと思いました。
あと最後の試験を終えたら自由登校期間に入るという時期で、最後の試験を受けられないまま卒業式を迎えたわけですが、その前日久しぶりに学校に行った時にはまさに
「遠い昔、この学校に通ってたんだ」
って感じでした。
そんなこともあってウィルに感情移入してしまうんだと思います。
でもナオミがジェームズに惹かれるのもわからないわけではありません。
最初にこの本を読んだ時、ムスメにすすめたいと思いました。
そのころムスメはいろいろあって自分を見失ってしまっていて、悩み苦しんでいるのが離れて暮らしていてもわかっていたのでなんとかしてあげたいと思っていました。
ムスメには少し前までお付き合いしていた人がいました。
学校の先輩だったその人に直接会ったことはありませんでしたが、写真(音楽関係のサイトやパンフレットの写真)から受ける印象や、ムスメの話から浮かぶ人物像は決して好印象ではなく、逆にムスメのことが心配になる人でした。
それでも自分と一緒にいることでその人を助けてあげられるんじゃないかと言うムスメの気持ちもわかるかなって思ったんです。
人を好きになるってそういうことだよねって。
私には理解できない人だけど見守るしかないかなと思いました。
それとなく「やめたほうがいいんじゃ」みたいなことは何度か言いましたが。
心配だけど見守る・・・そんなところもウィルと似ているのかもしれません。
結局彼とは別れたのですが(彼の方に問題が起こったので)、他にも「失う」ということを経験し不安定になってしまったムスメにナオミやジェームズが重なり、
そういうことだってあるんだよ
と気持ちを楽にさせてあげたくて読むことをすすめました。
でもそのときには読むことはなく最近になって文庫本が出たので読んだそうです。
今のムスメはもう迷っていないので
「ウィルはいい人やね」
という私が喜ぶ感想をくれましたが・・・。
いろいろなものを失くすことで自分を見つめなおし、大切なものに気づいて成長していったナオミと、失くしたものの大きさに耐えられず崩れてしまうジェームズと、失くしたものも自分の支えにして強く生きていこうとするウィル。
大切なものを失くしたとき、人はどうなるのか、自分はどうするのか考えさせられるお話なのかなとあらためて読んでみて思いました。
まだ前回の記憶が消えてしまわないうちに2回目を観てきました。
(最近昔のことは思い出せてもちょっと前のことはすぐ忘れるので)
観る前に決めていたことは
・音楽の確認(どの場面でどの曲が使われていてか)
・台詞のチェック(印象的な台詞)
・役者さんの演技(やっぱり下手なのかなぁ)
などを重点的に観てくること。
でもぜんぜんだめでした。
知りたかった音楽だけは覚えてきましたけど。
台詞は英語のところだと字幕が出るのですが、役者さんに見とれていて読むのを忘れ、早々とリタイア。
耳だけで聴きとるなんてできないし。
演技はあまり上手くない部分も確かにあると思うけれど、あれがミライという男の子なのだと思いました。
表情はほんとにいいです。
特に本人もこだわった眼鏡を外すシーン。
誠実で思慮深くてやさしくて知的なミライですが、隠していることや抑えようとしている気持ちなど心の揺れが思わず溢れそうになってしまい、それがきっと無意識に眼鏡を外すという行為に出てしまうのだと思います。
とても心が強いミライが実は繊細な部分も持っているという、そんなミライという男の子の人柄を目の表情でよくあらわしていたと私は感じました。
あとはキツイことを言った後にすぐに相手を気づかう言葉をかけたり、言いたいことを抑えてじっと見つめていたり、ついに抑えきれなくなって気持ちを爆発させたりする時の目と声がよかったです。
「切ない」という言葉がぴったりでした。
それと普段あんなにかわいいと思うあの顔を、かわいいと思う瞬間はほとんどありませんでした。
かわいいと思ったのはナオミが学校に復帰し、一緒に帰るとき。
ナオミが学校に戻ってきたことが嬉しくて、まだナオミとユウジの関係も始まってなくて(出会ってはいましたが)それほど心配することもなかったからか表情が明るいです。
そして最後の二人並んで階段を下りるシーン。
ほんとにかわいくて初々しい高校生カップルに見えます。
それ以外は切ない顔をしていることが多かったような気がします。
いつものキラキラした笑顔も、大口を開けて笑い転げる姿も想像できなくて、笑顔といえば静かに微笑んでいる感じ。
やさしくてあたたかくて切ない笑顔。
時に嫌味を言ったりしてイヤなヤツなのに、そう思えないミライ。
「もっとも難しい役どころで、その純粋さゆえにお客さんが彼を愛せるようにならなければいけないキャラクター」
と監督が表現したミライという人物がしっかり伝わってきた(よい評価のレビューではミライの評価もよかったです)ということは彼は決して役者として下手ではないのかなと安心しました。
自分が好きだとどうしてもひいき目に見ちゃいますから。
あと伝わってきたことというか感じたことは
・忘れられるからまた歩いていける
・過去があるから現在があり、未来がある
ってことかな。
ムービーガイドの中で「実際に記憶を失くしたらどうする?」という質問に対して日本の3人は「過去や記憶があるから今がある」というようなことを答えているのに対して、エース役の彼は同じことも言った上でさらにそんな考えも忘れてぜんぜん別のところで過ごそうなんて言っているかもしれないと答えていたのが印象的でした。
ミライ自身が伝えたかったことは、舞台挨拶の記事か何かで読んだのですが、
「観る人の年代によってもいろいろ感じ方があると思いますがミライがいいヤツだということが伝わればいいと思っています。」
みたいなことを言っていました。
ちゃんと伝わってますね。
2回目、観てきました。
前回は確か13人くらい。
今回は9人。
私より年上らしいおばちゃんひとり、3人組、ちょっと若そうな2人。
高校生くらいの女の子2人。
そしてカップルが一組。
きっとみんな出演者の誰かのファンで、本当に観たくてきたんだろうなって感じでした。
1回目も2回目も地方の映画館で、ちょうど夕食時ということもあったけれどあまりにもお客さんが少なくて複雑な気持ちでした。
映画というものをあまり観にいったことがないのでこの状態がそれほど珍しくないことなのかどうかはわかならいのですが、なんか大丈夫なのかなって心配になっちゃって・・・。
周りを気にしないで落ち着いて観られるという点はいいんですけど。
映画でもお芝居でも歌でも、とにかく観客があって見せたり聴かせたりするものは作る側としては決していい加減な気持ちで作ったりはしていないと思います。
その人、または人たちとしていちばんよいと思うものを作り送り出しているはずです。
それはできるだけたくさんの人に伝わらないと意味がないのかな?
評価されないとダメなのかな?
たとえわずかでも誰かの心に響くだけではいけないのかな?
(これは私たちの歌にも言えることで、来て下さった方は「感動した」「とってもよかった」と言って下さるけれどあまりにもお客さんが少なくて・・・・)
「つまらなかった」
と言う人がいます。
「何が言いたかったのかわからない」
と。
その一方で
「大切なことに気づいた」
「忘れられない映画になった」
と言う人もいます。
役者さんの演技を酷評する人もいます。
映画に描かれていないその人物の背景などを知っているとあれは演技であって、その人物の心情をよく表していると私は思うんだって言ってあげたくなります。
でも原作があるものをすべてその通り映画にすることはできないわけで、省かれた部分があってもそれを知らない人にもきちんと伝わらないとダメなんだと思ったりもします。
伝える側だけでなく受け止める側の状態によっても違うから、伝わらない人がいてもしかたないかなとも思います。
ただ自分が好きなお話だったりその中の大好きな人だったりのよさを知らないままで終わってしまうのがちょっと残念なので余計なことだとは思いますが原作を読んでいない人、読む気もない人にもちょっとだけお話のこと
伝えようかなと思っています。
では映画の感想も含めてこのあとで。

